子宮頸がん治療回想録とゆるゆるな玄米菜食と日々の暮らし

2020年12月、念願だった中古住宅を手に入れることが出来ました。アラフィフ、シングルのがんサバイバーです。淡々としぶとく生きていく。そんな自分を楽しみながら暮らしていくブログです。

お義母さん 一周忌

今週のお題「ねこ」

お義母さんの生前、愛犬のななの危篤の知らせをもらい元旦那の実家に出向いた時があった。

ななも、癌だったようだ。

横たわって、もう自分で立ち上がれなくなっていた。

タオルに含ませた水を、口に持っていき、しめらせてあげると舌を出して舐めはじめる。

お義母さんは聞いてもないのに、近況を話し始める。

「もう、あの子(元旦那)も変わったよー。お墓をね、選びに色々、連れてってくれて。こないだ、買えたよ」

分家なので、お墓は無かった。

土地は買ってあったが。

自分たちの墓石を買ったのだった。

その2年後になるのか。

1年前の今日

2並びの日(猫の日でもあるが)に亡くなったのは、はっきりした性格の故に、インパクトづけでなんとなくあの人らしい気がする。

 

 

 

 

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私は、お通夜も葬式も辞退した。

 

その代わり、お義母さんを感じるものが欲しくて、玄関の靴箱から生前、履いていたお義母さんの靴を拝借してきた。

亡くなってから、2週間ほどたった頃か。

お腹に隠して、止めてある自分の車まで猛ダッシュで走ってった。

 

 

 

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大事にするね

 

 

 

 

 

 

お義母さんとは、よく外食もしたし、映画も観に行った。

 

そうだ、竹野内豊の。

太平洋の奇跡」観た。

Googleで検索すると、2011年2月公開とある。

東日本大震災の年か、 

地震前に観たんだっけかなあ。

自分が観たくて、お義母さんを誘ったんだ。

その頃は、まだ自営の居酒屋もなんとか、閉店ガラガラながら、義理両親も身体が動けていたし、私も昼間働き二足のワラジでやっていた。

厨房で「お義母さん、タケノウチ、好き?」と聞くと

「うん、好きだよ♥️」

で、行ったんだった。

お義母さんは、晩年は、頭は真っ白で、またそれが上品に表れており、関ジャニ∞の名前も個性も言えるほどミーハーな女子で(私は全く興味ないが)、出掛けるのが、大好きな、ハイカラなおばあちゃんだった。

 

他にも色々、出掛けた。

毎年、隣の市で行われる夏の「夜店市」。

電車、乗って行ったよね。

最後にふたりで行ったのは、5年前だっけ?

人混みがスゴくて、小さな子供だったら迷子になるな。

お義母さんは、もう、足が痛むのか自分の足で歩くのは心細いようで、私の腕を持って歩いた。

時々、手を繋いで歩いた。

「これ、おとうさんにいいなあ」

デパートの外。

ワゴンの山盛りになった衣服の中から1枚、しわくちゃな手に取って、セーターを掲げて、言った。

カシミヤの良質なセーターが、半値だった。

お義母さんが、そう言うなら、間違いない。

すぐに、買ってあげた。

それから、駅周辺の居酒屋に行って軽く一杯やって、また電車乗って帰ったっけ。

 

 

 

私が癌告知を受けて、自らも癌を患い、身体が辛いであろうに、私の通院を付き添ってくれた。

「時々ね、あの子に(元旦那)お金ちょうだいって言われるだよ」

こないだは、元旦那のおかげで墓石が買えて安心したようだったけど、お金にはだらしない、元旦那のその癖は直らないのだろうか。

もう、私とは他人だけれども、以前と変わらずそんなことを愚痴ったりしていた。

 

 

 

 

お義母さんの靴、しばらくは家の玄関に置いて、出かける時や帰った時、声を掛けていた。

「いってくるね、お義母さん」

「ただいま」

 

一緒にお店をやっていた時、昼間の仕事が終わり、お店に入ると「おかえりー」って言ってくれてたね。

「なな、れんちゃん、帰ってきたよ、おかえりーって」

(犬のななに、いつも話し掛けていた)

その場面が、リフレインした。

靴、しばらくは履き続けたけれど、箱に入れて大事にしまっておく。

思いでも。

 

 

 

   有難う

 




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 がん友さんと一緒に歩いた、満開の河津桜🌸

コロナウイルス、早く終息しますように。