すいかの思い出(前編)
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
6年前に離婚し、それから2年半後、癌治療のため入院及び自宅療養が終わるまでは、隣のS市に移り住んでいた。
職場も違うし、住んだことも無いS市。
なぜかと言うと
過去の結婚生活を忘れたいためにこの土地を離れたいという思いからでは全く無く、
ただ単に、その頃は【思考停止状態】でこれからの自分の住まいも考えられないほど、頭の中が整理出来ないで疲弊していた。
たまたま、ある知り合いにそのS市のアパートを紹介されたのがキッカケだ。
家賃3万3千円で、ドアを開けると、古い配管の奥から下水道の匂いが鼻をつき
すぐ横にはキッチンシンク。
脱衣所は無く、足はもちろん延ばせないユニットバス。
6畳ふたまが襖で仕切られた間取りの昭和のたたずまいだった。
10月から入居しエアコンもすぐに揃えられず、最初の冬は小さい電気ヒーターと毛布にくるまって過ごした。
転職したばかりの水産加工工場の現場は、立ちぱなしで長靴の底から体の芯まで冷えて、この頃の冷たさは今でも記憶に残る。
今の職場環境は働き方改革の影響で定時あがりが基本になったけれど、その頃は残業が当たり前で12時間労働も珍しく無かった。
結婚生活当時にした生活費の借金が20数万あったので、この残業代は本当に有り難く、半年もしないうちにチャラに出来た。
ガスコンロも買わず、カセットコンロでしのいだ。
天井が低い造りの部屋なので焼肉なんかをやって、火災報知機を何回か鳴らしたことが有る。
これから、どうやって、どうなって過ごしていこうか(いきたいか)。
憂いの真っただ中、暗中模索していた時期だった。
ベランダの無いアパートの自室から窓を開けると、正面には
ステンドガラスが、はめ込まれた隣の家の二階の部屋の窓。
それはハワイ?の海で波乗りを連想させる絵柄だったような記憶がある。
そこのお隣の家のおばあちゃん(当時74,5歳)とアパートの大家さんは近所同士のお付き合いがある。
二世帯住宅のステンドガラスの部屋の主は、おばあちゃんのご長男で、私より3、4歳年上だったか、お子さんはいないご夫婦で、やっぱり今でも、休日になると趣味で海に入るという現役のサーファーらしい。
このお家のおばあちゃんは、よく私を気遣ってくれ、『お休みの日はうちに遊びにいらっしゃい、なんにも気を使うことなないからね』と言ってくれた。
私も、その言葉に甘えよくお茶を飲みにお邪魔した。
一緒に
ドライブに出かけたり、デパートに行ったり、映画も見たし、車で30分足らずの山道に入った養蜂家まではちみつを買いに行ったこともある。
母がいつもお世話になっていますと言い、このご長男夫婦に、もつ鍋のお店でご馳走になったこともある。