下腹部リンパ浮腫

術後、半年近く仕事復帰してすぐ

落ちた物をしゃがんで拾う時、下腹部がなんとも、もたつく感じがした。

下腹部がつかえるというかうまくしゃがめない。

術後から三角ゾーンは気にはしていたが、退院後からここのぷるんぷるん具合が、前よりもよりプリン状態になった気がする。

リンパ浮腫は足の方ばかりと心配していたが、実は下腹部や陰部から始まる。

年末年始休みをはさみ、また半日勤務を4,5日続け体調を見ながらフルタイムに切り替えた。

朝7時からの体力系仕事。

1日中立ちっぱで、朝イチ1時間半ほどは前日生産した加工品をスチロールにパッキングしていくが、ひとつの箱は大体5キロほど。

それをバンドして、パレットまで運ぶ。

数にすれば、けっこうな体力。

水産関係で、現場は温度は20度以下に保たれ掃除は水を使う為、時に冷たく寒い。

リンパ浮腫には立ちっぱは避けた方がいい。

多少歩ける程度だったらまだいいかもしれない。

社内で異動を申し出たが、どこも立ちっぱ作業、それでもここがまだ動ける(歩ける)作業だと。

なので、配置転換はしないで頑張るんぢゃなくてぼちぼちやることにした。

本当にこの病気は治療が終われば、終わりでない。

時間が過ぎて治癒を保証されるわけでない。

リンパ浮腫は10年経過してから発症される人もいる。

再発はもちろんだけどこんな後遺症の心配もか。

夜中にはっと目が覚め、胸騒ぎを感じ、孤独感や不安に襲われる時もある。

愚痴を言える家族もいない。

 

アロマ外来は仕事復帰する際、あらかじめ予約を入れておいた。

毎日自分の目で足をスキンケアをしながら、観察するわけだが、見慣れてるのとどうせ私のこと、テレビ見ながらクリーム塗るのだって惰性で、なんか異常があっても気づかないかもしれない。

それなら、医療従事者のアロママッサージを受けて見てもらえば一石二鳥かも。

かかりつけの総合病院のこのアロマ外来はリンパ浮腫の方も症状が軽減したり、ストレス解消もあり効果が出ているとのこと。

術後も半年くらいだし、仕事を続けてく上で心配。

今のぷるんぷるん具合も気になる。

フルタイムに切り替わった頃、鼠径部にぴりぴりした痛みを感じ始め、アロマ外来を訪ねた際「婦人科の主治医に紹介状を書いてもらいましょう」

ということで、リンパ浮腫により詳しい先生に診て頂くことになった。

 

 

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回想録 その6  排尿障害

最後の抗がん剤が終わり、放射線が数回残っている。

今日の朝の回診はあのいつかのひょっこりはんだ。

私の腫瘍は4cmと大きかったらしく

「手術時は膀胱の神経にだいぶ触ったと思われる…で…排尿障害は1年くらい続くかもしれない」

と先輩医師ひょっこりはんがそう言っていたと主治医から伝えらた。

で、改めて私の口から、ひょっこりはんに聞いてみる。

「やっぱり、すぐには…治らないですよね?しばらく自己導尿ですよね?」

「…まだ治療が残ってるので、そちらに集中しましょう。」

なんか、そらされた気がした。

いつまで自己導尿するんだろ…

会社復帰したら、お昼に車の中でやればいいのかなあ…

トイレで自己導尿できるように練習しよう…

そんなこと考えてた。
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自尿は50ccかマックスで100ccほど。

放射線の副作用の下痢で水分もそっちに廻ったらしく

ほとんど出ないときもあった。

自己導尿しての残尿は300くらい。

400以上の時もある。

尿意は全くなかった。

便座に座り、目をつむって深呼吸する。

下腹部を膨らませ、両手を当てた。

退院が近づくにつれて、居酒屋でトイレをずっと我慢して、やっと便座に座れた時のあのすっきりした気持ちよさの感覚が出てきた。

9月27日  退院の日

もうこの頃には、自分の中で、いつ治るか分からない排尿障害の為の自己導尿を受け入れていた。

カテーテルは友達。

放射線の副作用でオシッコすると尿道が痛んだ。

ロキソニン服用。

自己導尿の時間のたび、やるのをためらった。

で、1日1回の自己導尿にした。

本当は回数を減らしたり、時間の間隔は泌尿器科の担当医と相談しなきゃだけど、泌尿器科外来日まで日があるし、退院してから少しずつ自尿も増えていった。

入院時ほとんど50ccだったのが100ccから150ccになった。

それから、尿意がはんぱない!頻尿になった。

2時間ごとにトイレに行った。

そして退院から2週間後、泌尿器科外来の日の残尿測定

     ↓

    50cc

     ↓

  自己導尿卒業

退院して、環境が変わったから?

こんなに早くクリアできるなんて思ってなかった。

今、私と同じ手術を終えて、自己導尿されてる方がいたら希望をもって欲しい。

オシッコが普通にできるってしあわせ。・゜゜(ノД`)

私は本当に恵まれていて、手術と抗がん剤治療での3ヵ月近くの入院で癌友さんがたくさんできた。

みなさん、子宮体癌と卵巣癌の方たち。

私の抗がん剤のサイクルは毎週火曜日に6回だったけど、他の癌の方は1ヵ月に1度で6回、最初の1回目は1週間、ふたつきめから二泊三日になる。

3ヵ月近い入院で何度も顔を合わせた方もいるし、入れ替わり立ち替わりで、お名前を忘れないようノートに書いていたのが、ほぼ1ページ埋まった。

外来で診察が終わると病室まで顔を見せてくれたりした。

ひとり、ふたりでなく何人かそういう方がいてくれた。

私も退院して、外来の診察が終わり、同じその日に他の癌友さんか抗がん剤を受けるための入院日だったので、病室に寄った。

今までは見ず知らずの他人だったのに、つらい病気を通して過酷な手術や治療の話ができた。

健康な人に言ってもわからない、つらい同じ思いをした同志、分かち合える。

泌尿器科卒業の日

お世話になった看護師さんに伝えると「よかったですね、私達も励みになります。」

私も本当、よかった

他の癌友さんも「苦労してたもんね、よかったね」と言ってくれた。

ありがたかった。

病棟4階から下に降りる際、入院時はエレベーターしか使ったことなかったけど、退院した勲章みたいに階段で降りた。

途中、ひょっこりはんとすれ違う。

その旨をお話すると

「いやあ、よかったですね、ご苦労されていたから…」

「家に帰って何か変わったんですね、きっと」

「僕たちも、雰囲気の良い病棟を目指してるんですよ」

んーなるほど

主治医や看護師さんたち、入院中、かかわった皆様、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回想録 その5 食べたいときに食べたいものを

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毎週火曜日が抗がん剤点滴。

朝、研修医の先生が点滴の針を刺しにくる。

看護師さんの方がうまいのに…抗がん剤は癌細胞をたたくけど良い細胞にも影響する。

薬が漏れて肌に触ってももちろん影響あるし、だから一大事みたいな感じで研修医の先生が入れてくれるのかな。

一度、婦人科の主治医でない他の先生が入れてくれたことあったけど同じ日に3回刺された時もあった。

1度目はひと月近く青アザか残り2度目は途中液がもれ、皮膚がぷよぷよして痛みが走った。

その先生は日曜日もジーパンで白衣をはおり、自分の担当入院患者さんに声をかけてく。

他の医師より良心的。

ドクターとしてはいいけど…またこの先生に刺されることがあったら…

トラウマになった💧

火曜日朝、その時間が近くなると今日はあの先生も担当になってるのか看護師さんに聞いたり廊下に出てどの人が来ているかチェックすることもあった。

「今日は一発でうまくいった」

同じ日に抗がん剤を受ける癌友さんと「あの先生とは相性あうんだよね」とか、刺された腕を見せ合った。

シスプラチンは腎臓に負荷がかかるため、薬が落ちる2時間の間に電解質のものポカリ、アクエリアスとか2リットル、飲むように言われた。

もう2回目の抗がん剤からは2時間以内に飲みほせなくなった。

気持ち悪くて、おえってなる。

退院してしばらくたった今だって、ラベルさえ見るのがイヤになった。

「無理して飲まなくて大丈夫です、最悪、点滴しましょう」

(良かった( *´艸))

通常はトイレに頻繁に行くように言われるが私は排尿障害があるため、術後のようにまたバルーンでつながれた。

抗がん剤を受けてる時は、上に点滴、下にオシッコの入った袋をガラガラ下げて、移動する。

放射線の時がそうだった。

放射線の治療は、台の上に寝て大きな白いパネルがゆっくりゆっくり頭の上を動いていく。

照射自体はそれほど時間はかからない。

台の上に寝て、場所にちゃんと当たるようにするための準備に時間がかかり、終わるまで15分ほど。

後々の色素沈着があるため、照射部分にクリームを塗った方が良いとかブログに書いてあったので放射線の担当看護師さんに聞いたところ、クリームはアルミが入ってないものでお願いしますと言われた。

そういう添加物が入ってると肌が焼けてしまうらしい。

それから副作用のひどい下痢におそわれた。

4階に入院してたけど下の3階に、広くて落ちつく(ひどい下痢でこの表現もなんだけど)トイレがあったのでそれぞれその日その時間担当の看護師さんに

「穴場のトイレにこもってきます」

と言付けたりした。

健康な時の下痢と違い、おしりは痛くなるし軟膏クリームを処方してもらった。

抗がん剤点滴後気持ち悪さと倦怠感か続く。

今は薬が発達していて、上からあげるげることはなかったし、他の受けてる患者さんからも聞いたことがなかった。

そういえば、前職製薬会社で働き、抗がん剤の吐き気止めの薬を扱ったことがあったっけ。

その薬ではなく別の薬が処方されたけど、自分が癌になって同じような薬を飲むなんて夢にも思わない。

本当、人生って皮肉。

自分が癌になるなんて思ってなかったし…

シャワーを浴びるのもやっとで体力を消耗した。

もう、病院食は食べたくなくなった。

あの焼き魚の匂いや、他人の柔軟剤の匂いがたまらなく嫌になった。

スマホで食べたい物を画像検索して満足させていた。

下のコンビニ売店で、サンドイッチを主に買っていた。

「食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べてくたさい。」

看護師さんに言われた一言。

なんて素敵な言葉( *´艸)

後々、治療が終わってるのに、その看護師さんの言葉を思いだし、反動もあり退院後見事に肥る。

9月26日の退院までの治療は

 特別、前向きにと言うわけでもなく、ネガティブになることもなく、淡々とこなしていった。

最後の6回目、これで終わりだと思ったら嬉しくて涙がでた。

看護師さんがいつの間にか来てて、背中をさすってくれた。

 

 

 

回想録 その4  抗がん剤と放射線

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本当に暑い夏だった。

連日、猛暑やら熱中症やら言われてる。

7月5日手術が終わって排尿障害が残り、自己導尿(自分で膀胱にカテーテルを入れ導尿を促す)がクリアできたので、退院日か決まった。

が、しかし、陰部のむくみがひどく(術後によるリンパ浮腫)うまく自己導尿できず看護師さんを呼んだことがあった。

それが主治医に伝わり

「もし不安だったらこのまま入院で抗がん剤につなげましょうか?」

と気遣ってもらったが後々困るのも自分だから、なんとか自分で頑張ってやることにして家に帰ることにした。

退院と言っても、2日間だけだから外泊と変わらない。

病院には父親に迎えに来てもらい、その足で会社まで行き、休職の日にちを改めて伝える。

その日その時間には、たまたま社長が居て、ある神社のはさみのお守りを頂いた。

「何か縁があってね、うちで働いてもらってるから」

今時、こんな人情深いこと、もう気持ちだけで、ありがたかった。

悪縁を切るという意味で、はさみらしい。

これからまた入院して抗がん剤放射線治療が待ってる。

また普通の生活に戻るため、社長の善意はモチベーションにつながった。

 

今度の治療は毎週火曜日の抗がん剤×6クール、薬はシスプラチン。

放射線、月曜日から金曜日30回、そのうち最後の5回は場所を集中させるらしい。

放射線治療の為、両側の臀部の側面にマーカーペンで印をつけられた。

「退院でお家に帰って消えるようなことがあったらすぐ来てください」

とのこと。

 退院前、テレビのフロアーにいるとウィッグや癌患者さんにかかわる品を取り扱ってる会社の販売員の方が、テレビの脇に置いてあるウィッグの広告用のパンフレットを整理していた。

どちらともなく会話が始まり

その時、これからの治療の心配よりも、どのぐらいで普通の生活に戻れるかそっちの方が心配で、会社に見捨てられないかそんな気持ちを言ったかもしれない。

「今は二人に一人が生涯癌になると言われてます、会社でも癌を理由にむやみに切り捨てることがあったら問題です。」

そんな話をされた。

後々、二人の会話の内容よりもその販売員さんといる私がウィッグを用意するかもしれないと思った看護師さんがさりげなく

「れんさんが受ける抗がん剤は脱毛は心配ないのでウィッグは用意しなくても大丈夫ですよ、買ったらもったいないから」

と言ってくれた。

病棟は婦人科の入院患者さんで卵巣癌の方が多かった。

私と同じ子宮頸がんの方はいなかったので初めて聞く情報だった。

楽天でニット帽を探していたところだった。

 

 

 

 

回想録 その3 排尿障害

肌は弱い方で、何に反応してるのか、たまに赤くなって痒くなるときがある。

あのいつかの内診してくれたひょっこりはんみたいな先生の声が聞こえた

「何か、湿疹かな」「肌弱いらしいです」と麻酔科の先生。

手術前日の麻酔の説明の時、肌の状態も説明しておいた。

手術から目が覚め、その先生らの会話とともにベッドに移された。

それからまた朦朧とする。

お父さんが必死に名前呼んでる、叔母も呼んでくれてる。

目は開けない、耳で聞こえ、「ありがとう」と答えた。

意外にしっかりしてる。

気持ち悪さもない、呼吸が浅いとか、熱ぽいとか寒気がするとか一切なく自分でもびっくりするほど大きい声で言えた。

「無事終えたよ」叔母の言葉か嬉しかった。

また朦朧、もうろう、モウロウ……。

昼も夜もわからない。

心電図のモニターの音。

足に付けられたリンパ浮腫防止の為のブーツみたいなのからエアーの音が聞こえる。

寝返りできない、頼れるものはナースコールのボタンがすべて。

床ずれ防止に体の向きを直してくれたはいいが、ナースコールのボタンまで気遣ってもらえず、手元から遠い、どうしよう、心細い…。

看護師さんたちの間ではとにかく早く体を起こしましょう、早く歩きましょうみたいな雰囲気があり、寝返りもままならない時にベッドのリクライニングのリモコンをノンストップで動かされた。

あとで、入院友達に言ったら

「富士急ぢゃん」と言われた(笑)

ひとり年配の看護師さんが「何か不安なことある?」と言って手を握ってくれた。

マザー・テレサだと思った。

食べれないのはもちろん、時間さえわからない、テレビも見る気にならない、とにかくつらい時間か過ぎてく。

そんなときに、感謝する。

それから集中治療室最後の日担当になってくれた看護師さんも優しくて涙がでた。

そして普通病棟に戻った。今度こそ、ベッドでカラカラ運ばれた。

担当の看護師さん、入院してすぐだったか、離婚の決め手は何だったですか?みたいな話をしたかな、入院初日、元義理母が付いてくれた。だから不思議に思ったのかもしれない。

旦那とは色々あったが、義理のお父さんとお母さんには可愛がってもらった。

普通病棟の部屋に近づくと元旦那と元義理母がいてくれた。

お母さんは私の顔を両手で包み込んで「良かったね、終わったね」と言ってくれた。

「この人元旦那」

元旦那の方に指をさし、担当の看護師さんに教えてあげた。

 

今日はとりあえず部屋の入り口まで歩きましょう

看護師さんに靴を履かせてもらい、点滴ひっぱりゆっくり歩く。

すんごくゆっくり。

次の日は廊下。

日が増すにつれ、歩く距離が延びてく。

後々、スイカが食べたくなって近所のマーケットに買いに行けるまでに。

お粥が食べれるようになり、体につけられていた管も取れていった。

リンパ浮腫防止の為の専用のきつめの靴下も履いてたけれど、前にも触れたように湿疹が出来てしまって、途中から包帯に変わった。

朝と夜、それぞれ違う腕に皮下注射が打たれた、血栓予防のため。

排尿訓練か始まった。

自尿を計り、看護師さんが膀胱から管を通し、残尿を測る。それが50cc未満が3回続いたら合格。

私は…

便座に座ってもでない、っていうかどうしてオシッコ出してたのか忘れちゃった💧

主治医に話したらそれが排尿障害ですと言われた。

大変なのはこのあと。

当然、オシッコは出さないと。

自分で、膀胱にカテーテルを入れて、オシッコを出す手技を看護師さんから教えてもらったがなかなかできなかった💧

カテーテル入れるとき怖い気持ちが先にでる。

これが出来ないと退院できない。

抗がん剤も控えてる。

他の人はどうしてるんだろ?

 今でこそ、ブログなんて書いちゃてるが、まだその頃は人のブログなんてみれなかった。手術前の病気受けいられない気持ちが、こわさが、まだあった。

が、入院友達に相談してスマホで検索、一緒に見てもらった。

病棟は婦人科、形成外科、あと毎週白内障の方が一泊する。

部屋にもテレビがあったけれど、みんなが集まって見れる簡単なフロアがあった。

そのおかげもあってか、そこで他の患者さんとコミュニケーションがとれ、入院友達が何人かできた。

メンタル面で、これは本当に助かった!

情報交換もできた。

結局退院が延び、退院というよりも外泊みたいな2日間だけ家に帰れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回想録  その2広汎子宮全摘出術

検査、検査で忙しい日が続く。他病院へPETをとりに行った。

そこはホテルのロビーのような待ち合いだった。

膀胱にも転移してないか内視鏡もとった。転移はなかった。ひとまず安心。

7月2日入院決まる。

手術日も7月5日に決まった。

子宮、卵巣、全摘。骨盤内リンパ郭清、後に手術で開腹したら腫瘍が大きかった為

膀大動脈リンパ郭清も。

入院前に自己血をとったり肺活量みたり…。

ただ決められたとおり、やり過ごしていく。

手術日まで2カ月近く。

自分、どうなっちゃう?  怖い。

入院何日か前に休職に入るけどこのまま仕事続けていたい、普通の生活続けていたい何度も思った。

その頃は生理でもないのにきつい痛みも出ていて、ロキソニンでおさえていた。

腫瘍は大きいらしい。ステージ2b。

初潮以来ずっと生理不順だった。

それが離婚したとたんに毎月判子うったみたいに規則正しくくるようになった。

あっ今月もいらっしゃいみたいな。毎月めんどくさいってよくいうけれど私は健康の証拠だと思ってたし、今までの結婚生活ストレスだったんだなと。

30歳になった時、卵巣多嚢胞症と診断され、薬で生理を起こさせるカウフマン療法をやっていた。だから自然にくる生理が嬉しかった。

癌になるなら卵巣か子宮だと思っていた。

食べ物が原因もありかあ…

好きなものばかり食べていたと思う。

お菓子大好き。

この頃から急に玄米菜食家になる。          

入院、それから手術の為の説明準備色々…。

外科手術の麻酔は点滴だけかと思ってたら、背中に穴を開け、管を通しそこから痛み止の薬を流す(これで術後の痛みが断然違うと言われた)

((((;゜Д゜)))恐怖の何者でもない…

手術当日。

2階の手術室まで、歩いて。

イメージだとベッドで頑張ってって励まされながらカラカラ運ばれるもんだと思ってた。

心配していた背中へ管。

治療台の脇のラジカセから曲が流れてた。

まずはエビぞりになる。

看護婦さんが「私は大丈夫だからしっかり捕まってて下さい‼️」と

体位が崩れ違うところに針が刺さってしまうかもだから。

看護師さんにしっかりとつかまる。

ラジカセが急に暗い曲に変わった…。

「急に暗い曲に(笑(^_^;))…」そう言って早送りしてくれた。

懐かしい。

田原俊彦の「抱きしめてtonight」に変わった。

歴代のヒットドラマ主題歌をまとめたCDらしい。

看護師さんが私の背中ごしで、作業(注射してる)してる先生に

「先生、知らないでしょ、この曲、ジェネレーションギャップだよね、それとも勉強ばかりやってたからわかんないか?」

先生「…」

私「すみません💧こわいんですけど、注射おわりました?」

先生「もう終わりましたよ」

全く何も感じないまま、管が通されたらしい。

 

「終わりました、ぢゃあ、あと1分以内に麻酔が聞き始めます」

私、(よしっ数えてよ、1…)

1のまま…止まった…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

46歳、子宮頸がんに

2018年も終わるところ。

今年9月27日に治療も終わり、退院した。

これは回想録。

 

うちの会社は休まず一年を過ごすと、年初の会社の全体朝礼で皆勤賞として10万円を頂き、表彰される。

二年半前に離婚と共に職も変え、以来欠かさず、皆勤賞だった。風邪もひかない。

ただ、茶色のおりものは気になっていた。

そんなとき、夜中の頻尿に悩まされる、眠くてたまらないのに起きてトイレに行くのは2回や3回ぢゃない、今思えば大きく育った腫瘍(勝手にことわりもなく育った)が膀胱の神経にさわり悪さをしていたと思う。

膀胱炎かなあ?近所の婦人科に行った。

小堺一機みたいな先生が、エコーをかける。

ジェルを塗ったマウスのような器具を何回も何回も下腹部を這わせ、画面を見ながら首をかしげる。 

「普通の人はね、こんなに大きくないんだけどなあ…がん検診もやろうか?」

1週間後、結果、子宮頸がんの可能性あり。

紹介状書くんで総合病院で精密検査を、ゴールデンウィークをはさむので、とにかく早めに行って下さい。とのこと。

次の日、離婚前に住んでいた街の総合病院に急遽、予約を入れた。

3時間は待ち合いにいたと思う。

 

子宮頸がん確定。

動揺した。

「大丈夫ですか?一人で聞けますか?」

と若手の女医の主治医。

それから、どこまで癌が進んでいるか、転移はしているか、それによって治療も変わってくるとのこと。

転移、ステージによっては手術はできない、でも手術日だけはおさえておきます。とのこと。

次に外来に行った時は、女医の主治医ではなく、だいぶ先輩の先生も内診してくれた。

痛い!思わず声が出る。

内診台のカーテン越しにひょっこりはんみたいに顔が出た。

「ごめんね、これね、治療方針を決めるためだから、少しね、我慢して」

看護婦さんも「頑張って、深呼吸して」

出血がひどかった、終わって内診台から降りるときシートにべったりと血がついていた。