子宮頸がん治療回想録とゆるゆるな玄米菜食と日々の暮らし

2020年12月、念願だった中古住宅を手に入れることが出来ました。アラフィフ、シングルのがんサバイバーです。淡々としぶとく生きていく。そんな自分を楽しみながら暮らしていくブログです。

お義母さんの死

離婚後、S市で一人暮らししていたが病気後、実家に戻った。

荷物は実家まで車1時間ほど、せこせこと少しずつ、少しずつ運び出した。

9月27日に退院して12月下旬から半日ずつの職場復帰。

県民共済で70万ほどの支払いがあった。

離婚した当初、これからひとりで生きてかなきゃってことで、他の生命保険も考えたんだけど、加入して月々の支払いを貯金に廻せばいいかなと。

ちょっと後悔。

そんなんでもらったお金もすぐ出てっちゃうよって言ってくれた人もいる。

5年経って、また考えよう。

退院してからの初めてのお正月。

ひどい孤独感。

もともとひとりでいるの苦ぢゃないのだけれど街に出ると家族連れがやたら目につく。

離婚して一人暮らし始めて何にも気にならなかったのに。

病気は人の心も弱くさせる。

前出にもあったけれど、旦那とは色々あった。

夫婦だから、相手のことばかり責められない。

どんな理由があっても。って思う。

ワケはここでは省略する。

元旦那はバツイチで一回り年上だった。

居酒屋を兄弟でそれぞれ経営していた。

当時、お義母さんも経理で、60過ぎの小柄なお義母さん。

お店は繁盛時はカウンターに立って、カクテルのシェイカーを振ったりして、ほとんど若いお客さんが多く、

「おかあさーん♥️」

と声もよくかけられていた。

こないだ2月22日、腎臓がんで亡くなった。

84,5歳。

数日前に入院したのは知っていた。

外来のサイクルがほぼ同じで腎臓内科を覗くと顔が見れたが

その日は居なくて、もしやと思い、総合受付に問い合わせたら、やっぱり入院していた。

年末、外来で顔を合わせた時も、「もう、顔見れないかと思った…」

って言われた。

「もう苦しくてななのところに行きたい」

「せつないねぇ、この病気って」

っていいながら、私も一緒に泣いた。

ななは去年亡くなったジャックラッセルテリア犬。

離婚してからも時々、一緒にごはん食べたりした。

もちろん旦那が留守時。

お仏壇には、ななの写真も飾られていた。

そんな矢先だったから。

その日

仕事が終わり、なんだか胸騒ぎがする。

元旦那にメールではなく電話した。

「危篤だよ」

すぐ駆けつけた。

両足はぱんぱんにむくんでいた。

 

耳元に立ち

「お義母さん、お義母さんの嫁で幸せだったよ」

返事をするように荒い息に抑揚がついてる。

 

次の日、夕方の旦那からのメール。

「22日0時22分悦子 笑顔ど安らかに旅立つたよ 最後に話したお前の声聞いてから うちで悦子寝てるで来るならおいで!」

家に行くと本当に安らかな笑顔。

 

私には本当の母親は居なくて、子宮頸がん告知された時も怖くて恐くてどうしようもないとき、お義母さんに泣きながら電話した。

それから、お義母さんも弱ってるのに、入院前の自己血採る時、入院初日一緒に居てくれた。

もちろん、お見舞いも。

腎臓がんで何回か内視鏡の手術をしていた。

外来にいくたび、再発はないかびくびくするよって言ってた。

お義母さんの享年とか手術の回数とか、今さら元旦那に聞くこともない。

お通夜とお葬式は辞退した。

眠ってるお義母さん、

ななと散歩かな、久しぶりの。

あの何でもないことが幸せだったんだよね、本当ロードか。

ありがとう



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