子宮頸がん治療回想録とゆるゆるな玄米菜食と日々の暮らし

2020年12月、念願だった中古住宅を手に入れることが出来ました。アラフィフ、シングルのがんサバイバーです。淡々としぶとく生きていく。そんな自分を楽しみながら暮らしていくブログです。

腫瘍マーカー前編

去年、9月27日退院してから月一度の外来。一年経過したら3ヶ月に一度になる(つもりでいた)

9月の外来で、腫瘍マーカーは1.4だった、 基準値は0.0~1.5。

それまで0.8で、ずっと安定してたのに。なんで?

10月の外来まで、心配でどうやって過ごせる?

「こうゆうことって、よくあります?」

主治医に聞いてみる。

「うーん……」

答えられなかった主治医はこの日の外来が最後。

お世話になってる総合病院の婦人科の先生達は一年で異動してしまう。大学病院に戻って研究を続けたり…。

この先生は私にとって、二人目の主治医。

それからまた1ヶ月後の外来。10月。三人目の主治医は女医さんらしいけど、どきどきする。

内診が痛む為、主治医が変わると不安。

男性のこの先生は全然、痛くない。

一人目の先生は若い女医さん、内診痛くて。

細胞診を採るとき、器具を入れて膣を開くのか、痛い。

その頃は術後で、放射線もやって粘膜も安定してなかったからかな。

待合室で、同じ病室になったことのある方と一緒になった。

腫瘍マーカーの結果がどうかの心配もおしゃべりで、軽減された。

「私もあの先生から変わって今日が初めて、もうどきどきするよね」

なんて話してて、順番が私より先で診察が終わり、こちらの方へ歩み寄ってくる笑顔がぱっと明るくてそれで察した。

「もう、すごく感じのいい先生、丁寧で、キレイなひと」

「よかった、安心ですね」

採血結果も、もちろん、主治医が変わるとコミュニケーションはどうかも気になるもの。

私より1時間早い診察予定だったその方と

「お話できてよかったです、また会いましょう」と別れて。

しばらくして、私の番で。

簡単に自己紹介され、本当に感じのよい、笑顔の先生。

それに安心しきって、腫瘍マーカーの結果なんて心配する暇さえなく。

「今回の腫瘍マーカーは0.7、細胞診も問題ないですね…」

と。

「良かった…本当に…こないだはビックリしました」

「ですよね、倍の値ですもんね…」

安心して、涙がでてきた、つたってきたのを指でふきながら、来月の予約日を聞いて内診室に入る。

なんか下腹部が生理の時みたいな重だるさを感じたことがあったので、それも伝えた。

腫瘍マーカー聞いた後で気のせいかもです、って言ったら先生は笑って、「何日くらい続きました?今、だいぶ強めに押してますけど痛みはありますか?」

「何日か続いたんでなく、突発的なのです、大丈夫です、痛くないです」

その後、先生なんて言ったか覚えてないけど様子見。

内診も痛くなかった。

 

ここ1ヶ月、考えた。考えても仕方ないけどって思うけど考える。

また再発の不安。

癌は「完治」とは言わない、「寛解」。

治療が終わり、治るものでない。

改めて怖いって思ってしまう。

もう抗がん剤とか放射線なんてやりたくない。

退院してから過ごし方がいけなかったのか、色々考えた。

 

自宅療養してた時、去年の今頃だったかな、あるブログの記事をみつけた。

「奥さまは癌の進行により一度は死を覚悟され、ある時何かがはじけ散った瞬間から、人生が急転して見事に生還された方です、今では、ランチをおひとりで仕切るほど・・・」

あるお店の紹介、自分らも店をやっていた時のすぐ近くのオーガニック系の食堂。お酒も置いてあるので夜も営業してる。客層も似てるし、イベントの打ち上げで、うちの店を使ってくれたこともある。来店したことはないけどよく知っていた。

この奥さんと会って話してみたい!

その頃は、毎日気持ちは沈んでいたと思う。

3ヶ月近くの入院生活から退院した喜びよりも、これからの日常生活の不安と病気になった心の弱さからくる孤独感の方が強かった。

会って話せば、何か見つかる気がする。

それから直ぐに行って。

一時は毎週、ランチを食べに行ってた。