子宮頸がん治療回想録とゆるゆるな玄米菜食と日々の暮らし

2020年12月、念願だった中古住宅を手に入れることが出来ました。アラフィフ、シングルのがんサバイバーです。淡々としぶとく生きていく。そんな自分を楽しみながら暮らしていくブログです。

回想録 その6  排尿障害

最後の抗がん剤が終わり、放射線が数回残っている。

今日の朝の回診はあのいつかのひょっこりはんだ。

私の腫瘍は4cmと大きかったらしく

「手術時は膀胱の神経にだいぶ触ったと思われる…で…排尿障害は1年くらい続くかもしれない」

と先輩医師ひょっこりはんがそう言っていたと主治医から伝えらた。

で、改めて私の口から、ひょっこりはんに聞いてみる。

「やっぱり、すぐには…治らないですよね?しばらく自己導尿ですよね?」

「…まだ治療が残ってるので、そちらに集中しましょう。」

なんか、そらされた気がした。

いつまで自己導尿するんだろ…

会社復帰したら、お昼に車の中でやればいいのかなあ…

トイレで自己導尿できるように練習しよう…

そんなこと考えてた。
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自尿は50ccかマックスで100ccほど。

放射線の副作用の下痢で水分もそっちに廻ったらしく

ほとんど出ないときもあった。

自己導尿しての残尿は300くらい。

400以上の時もある。

尿意は全くなかった。

便座に座り、目をつむって深呼吸する。

下腹部を膨らませ、両手を当てた。

退院が近づくにつれて、居酒屋でトイレをずっと我慢して、やっと便座に座れた時のあのすっきりした気持ちよさの感覚が出てきた。

9月27日  退院の日

もうこの頃には、自分の中で、いつ治るか分からない排尿障害の為の自己導尿を受け入れていた。

カテーテルは友達。

放射線の副作用でオシッコすると尿道が痛んだ。

ロキソニン服用。

自己導尿の時間のたび、やるのをためらった。

で、1日1回の自己導尿にした。

本当は回数を減らしたり、時間の間隔は泌尿器科の担当医と相談しなきゃだけど、泌尿器科外来日まで日があるし、退院してから少しずつ自尿も増えていった。

入院時ほとんど50ccだったのが100ccから150ccになった。

それから、尿意がはんぱない!頻尿になった。

2時間ごとにトイレに行った。

そして退院から2週間後、泌尿器科外来の日の残尿測定

     ↓

    50cc

     ↓

  自己導尿卒業

退院して、環境が変わったから?

こんなに早くクリアできるなんて思ってなかった。

今、私と同じ手術を終えて、自己導尿されてる方がいたら希望をもって欲しい。

オシッコが普通にできるってしあわせ。・゜゜(ノД`)

私は本当に恵まれていて、手術と抗がん剤治療での3ヵ月近くの入院で癌友さんがたくさんできた。

みなさん、子宮体癌と卵巣癌の方たち。

私の抗がん剤のサイクルは毎週火曜日に6回だったけど、他の癌の方は1ヵ月に1度で6回、最初の1回目は1週間、ふたつきめから二泊三日になる。

3ヵ月近い入院で何度も顔を合わせた方もいるし、入れ替わり立ち替わりで、お名前を忘れないようノートに書いていたのが、ほぼ1ページ埋まった。

外来で診察が終わると病室まで顔を見せてくれたりした。

ひとり、ふたりでなく何人かそういう方がいてくれた。

私も退院して、外来の診察が終わり、同じその日に他の癌友さんか抗がん剤を受けるための入院日だったので、病室に寄った。

今までは見ず知らずの他人だったのに、つらい病気を通して過酷な手術や治療の話ができた。

健康な人に言ってもわからない、つらい同じ思いをした同志、分かち合える。

泌尿器科卒業の日

お世話になった看護師さんに伝えると「よかったですね、私達も励みになります。」

私も本当、よかった

他の癌友さんも「苦労してたもんね、よかったね」と言ってくれた。

ありがたかった。

病棟4階から下に降りる際、入院時はエレベーターしか使ったことなかったけど、退院した勲章みたいに階段で降りた。

途中、ひょっこりはんとすれ違う。

その旨をお話すると

「いやあ、よかったですね、ご苦労されていたから…」

「家に帰って何か変わったんですね、きっと」

「僕たちも、雰囲気の良い病棟を目指してるんですよ」

んーなるほど

主治医や看護師さんたち、入院中、かかわった皆様、本当にありがとうございました。