キツネの酸っぱい葡萄
コロナ禍のいま
24%の人がマイホーム計画を中断しているという。
「検討を休止した、いったん様子見にした」という人が24%。
三蜜を避けるため
「モデルルーム・モデルハウス・住宅展示場・不動産店舗・実物物件を見に行くことをやめた」とする人も。
心理面から
新型コロナウイルス感染症の流行が長期化すれば、仕事や収入への不安が強まり、行動を起こさないことへ繋がっているかもしれない。
私自身
老後も控えた独り身、本職の正社員の水産加工会社の給料だけでは、アパートの家賃並みとは言っても、住宅ローンと老後資金を準備しながらの生活するのは心許ない。
私が再就職した、5年前の今のこの会社は、あの頃は残業も毎日2時間はあったが、働き方改革で、きっちり定時終了な毎日。
今では年収も減少。
そこで、本屋さんでのアルバイトを始めた訳だが。
昨今の感染症で本職の社長から、食品会社ゆえ、もし何かあったら風評被害がこわいので終息するまでアルバイトは自粛してほしいとの意向があった。
リンパ浮腫も改善されたこの頃で、本屋さんのバイトは新しい刺激で、楽しさを満喫してた面もあり、これは悔しい面もあるが仕方ない。
感染のリスクを考えれば、これでよかったのだ。
2か月前
あの狙っていた中古住宅、お気に入りのあの家が売れたようだ。
不動産の大手の物件のホームページから削除されていた。
キツネのすっぱい葡萄って言葉がある。
イソップ童話のすっぱいブドウの話。
キツネが高い所にあるブドウが食べたくて何度か跳び上がる。
だけど、届かない。
そして最後には
「あのブドウはまだ青くて食べられないや」と言って去る。
狙っていた葡萄を酸っぱくて美味しくないモノに決まっていると自己正当化した物語が転じて、酸っぱい葡萄は自己の能力の低さを正当化や擁護するために、対象のものを価値の無いものだと主張する負け惜しみを意味するように使われたりする。
仕方ない。
そりゃ 売れるだろう。
でもなあ
あの家、本当に条件がよかったのだ。
コロナの件もあるが、私には高い買い物をする相応の覚悟も足りなかったかもしれない。
大病してからまだ何年も経っていないことから不安もある。
自ら断った身分だ。
何を今さら思うのか。
あの家は私には大きすぎた。
部屋も多くて、値段も予算より高いし、住むには身分不相応だ。
あの家は、酸っぱい葡萄だ。
そう、酸っぱい葡萄。
縁がなかったんだ。
安住の地というべきか。
心穏やかに過ごすことのできる家。
自分の家が、1番居心地がいい、好きだと言いたい。
庭があり、家庭菜園で自分自身で収穫した野菜をピザトーストの上にのせたり、カレーにいれたり。
ブラックベリーを植え、実った果実に小鳥がついばみに来て、その声で朝、目が覚めたり。
そんな生活を楽しみたい。
猫をかってもいい。
想像は無限に広がる。
あの家にこだわり続けるよりも、新しい土地でのシチュエーションを掻き立ててくれる家にまた逢える。
想像ではなく具現化できる家に逢える。
大丈夫。
きっと良い縁がある。
まだまだ。
これからだ。
この連休も、ついのすみかさがしに変わりはない。